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2008-05-04

*弟

(※今回凄く長いです。ごめんなさい)




私には弟が2人いる。
2歳違いのたかおとそして5歳下のたけし(勿論仮名)。
そのたけしは今病院にいる。
精神病院だ。

たけしは双子だった。
お互いのへその緒をお互いの首に巻きつけてしまい、
1人は母の胎内で死に、生き残ったたけしも脳に十分な酸素が行き届かず、
知的障害者になった。


たけしが小さい頃、彼の障害については誰もよくわからなかった。
少なくともその障害のことで病院に行ったりはしなかった。
両親がその可能性を医師から聞いたかどうかはわからない。

生母は病気でしょっちゅう入院していたので、伯母が私たち兄弟の面倒を見にきてくれ、
生母が他界してからは、その伯母夫婦にたけしは預けられた。
伯母夫婦には子どもがなく、たけしは実の子どものように可愛がられて育った。
たけしはうちにいたときも、伯母のうちにいたときも、
近所の子ども達によくいじめられて、泣いて帰ってきた。
「ぼく、バカじゃない」と言いながら。
確かにちょっと、とろいかなとは思っていたのだけれども。

そのたびに私はすっとんでいっていじめた子どもを追いかけたが、
つかまえてみるといつもたけしより年下の、
ときにはよだれ掛けをしているような小さい子だったりした。
もう少し大きい子たちは、戸惑った顔をして、
たけしのこともいじめた子どもも無視していたようだったが、
たけしは同じくらいの子ども達と一緒にいるだけで楽しそうにしていた。


私がいないとき、伯母はいじめた子どもに
「おばさんのだんなさんはお巡りさんで、おばさんは学校の先生なの。
こんなことしちゃいけないよ」
と諭すように話していた。
伯父はお菓子のメーカーに勤めていたし、伯母は教員免許さえ持っていなかった。
私は伯母のしていることが理解できなかった。
ただ、そんなこと言っても効果はないだろうと、子どもながらに思っていたけれど、
それは弟の面倒を見てくれている伯母に恥をかかすような気がして言わなかった。
お巡りさんや先生が家族にいたところで怖がる子どもなんかひとりもいない。
そんな時代があったことすら知らない。

多分伯母は現実を正視することが少し苦手だったのかもしれないと
今思っている。



たけしが小学校にあがる年、
就学前の面接の時のことは今でもよく覚えている。
私も伯母に付き添って行ったのだ。私は小学5年生だった。
就学前児童の担当の先生が簡単な質問をたけしにしたのだが、
たけしは何を言われているのかわからないらしく、ぼんやりしていた。
担当の先生は少し困った顔をしたが、すぐ無表情になり言った。
「この廊下をまっすぐ行って、突き当たりの部屋に行ってください」
今思うと、あの時の無表情は、先生の誠意だったのかもしれないと思う。
誰だって障害者を見るとき、どんな顔をしていいかわからなくなる時があるものだから。
いじめっこの小さい子と一緒にいた、ちょっと大きなあの子ども達のように。

そこへ回される子どもは、ぐるっと見ても誰もいなかった。
長い廊下。
その教室には男女の、年配の先生がひとりずついて、
とても静かだった。
たけしは養護学級に回されたのだった。
この時初めてたけしに障害があることがはっきりしたのだ。

帰り道、伯母はひとり鼻を真っ赤にしながら
「仕方ない。仕方ない・・・」と小さく繰り返していた。


たけしが小学校に入学する直前の3月、現在の母がきてくれた。
父はこの母と1月頃にお見合いをしたのだった。
新しい母はとてもいい人だったので、私とたかおはあっという間になついた。
ある日、この新しい母と私は、伯母夫婦のところへたけしを迎えに行った。
家族全員がやっと揃う。

しかし、伯母夫婦にとっては家族が1人減る日である。

伯母は来る時が来たと、小さい体をさらに小さく震わせて、泣くのを堪えていた。
その時伯父は仕事でおらず、帰ってきたときに「パパおかえり」というたけしがいないと気付いたら・・・。
私は伯母夫婦の気持ちを考えて辛かった。
たけしは伯母夫婦を本当の親だと思っていて、パパ、ママと呼んでいた。
連れて帰ってきて1ヶ月くらいパパとママのところに帰りたいとずっと泣いていた。
こんなにお互いに必要としているのだから
たけしが伯母夫婦の子どもになってもいいのではないかとも思った。
なぜダメなんだろう。私たちが本当の家族だから?
・・・・それともたけしが障害者だから?



私が大人になって知ったことだが、伯母夫婦はたけしを養子にしたいと言っていたそうだ。
それを強く反対したのが親戚だった。
「あんな子どもを押し付けられたって困るだろう」
父が伯母夫婦に障害児を押し付けているという形にいつの間にかすりかわっていた。
父は障害児でも自分の子どもだからと、養子の申し出を辞退していたそうだが、
今度はそれが気に食わなかったらしく、親戚が父を囲んで
「どうして養子にだしてやらないんだ、この恩知らず」と罵倒しまくったという。
父と生母は仲が悪くなっていたので、
向こうの親戚は何かにつけて父を非難したかったのだろう。
何しろ小学3年生の時の私に父の悪口を聞かせるくらいの人たちだったのだ。
変わっている。
私はあんな人たちと血が繋がっている自分がしばらく許せなかったほど怒り心頭に達したのに、
父は「なんも。よくわからない人たちのいうことにいちいち引っかかっていたら、
面倒くさくってしょうがない」と言って笑っていた。


母は「かわいそうで涙が出る」とたけしのために心を痛めていた。
そのせいか、母はたけしに1番愛情をかけてくれた。
1年もすると、たけしは母なしではいられないくらい母になついていた。




私と母は、たけしの障害にとても無知だった。
たけしの養護学級は幼稚園に行かなかったからかなぁと、母と私はよく話した。
今考えると、多分伯母はたけしの障害のことを知っていて
幼稚園にやらなかったのではないかと想像している。
父はそういうことには無頓着で、
幼稚園くらい行かなくても「オレも行かなかった」で済ませられる人だったが、
父もたけしの障害のことはうすうす知っていたはずだ。母には何も言わなかったのだろうか。
何故なのかわからないけれども。
幼稚園に行ったって迷惑をかけるだけだったのが、今になってわかる。


たけしには自閉症もあったが、陽気な子どもだった。
その障害の恩恵なのか、無邪気に誰にでも「こんにちは」と挨拶をするので
近所でたけしのことを知らない人はいなかった。
「ああ、あの愛想の良い、にこにこした子」
私の知らないひとでも「あら、たけしちゃん」と声をかけてくれる人がたくさんいた。
障害のあるなしにかかわらず、大人たちはたけしをかわいがってくれた。
でも子ども達とはやっぱり仲良くできなかった。
だから私がいつもたけしと一緒に遊んだ。


たけしの障害は、養護学級の中では随分ましなほうだった。
命にかかわる病気もなかったし、いけないと言われればちゃんとわかった。
学校が大好きで、なるべく休まないで通っていたし、
そういう子達の高校にも行き、卒業式では卒業生の言葉を代表で発表したりした。


高校卒業後、札幌のはずれにあるクリーニング店に勤め始めた。
たけしのような子が働ける場所があることに感謝した。

伯母夫婦の家がまだ美唄にあった頃、
伯父と伯母はたけしに汽車(北海道では電車のことを汽車というが、当時はまだSLも走っていた)
をよく見せていたせいか、たけしは汽車が大好きで、
小学校の高学年になると、ひとりで近くの駅まで汽車を見に行った。
そこには国鉄の工場兼車庫があり、そこでたくさんの汽車が見られたのだ。
たけしのこの趣味は未だに変わっていない。
仕事に行くようになっても
バスで帰ってくるほうが早いのに、たまにわざわざ一駅分だけ汽車に乗るのが
たけしの楽しみだった。
たけしが一生懸命働いているので、母もそのくらいのことは許していたのだ。
汽車に乗って帰ってきたときは、寝るまでたけしの顔はにこにこしているのだった。


そのクリーニング店には何人かの障害者がいて、
パートのおばさん方と一緒に、病院で使うおむつやシーツなどをたたむ仕事をしていた。
パートのおばさん方は、家族にも障害者などいない人たちばかりで、
障害者の理解に乏しかったのは否めない。
私は家族だから十分知っているが、障害者は融通が利かない。
決められたことを黙々と、いつも通りやらなければ気が済まない。
何か変わったことを注文されると、それだけで混乱してしまうのだ。
映画「アイアム サム」はとても障害者をリアルに描いている。
本当に、自分たちのペースがほんの少しでも狂うと、
彼らの混乱は悲しいほど激しい。
健常者なら、どうってことない、些細なことでも。


しかし、高校を卒業したばかりの頃のたけしはぱっと見ただけでは障害者のようには見えないので、
おばさん方はいつもそのことを忘れてしまうのか、たけしに無理を言ったらしい。
たけしの見かけがちいさい子どもだったら、回りも仕方ないと思えただろうが、
いまや立派な青年である。
いくら障害者だと頭でわかっていても、子どもに接するようにはできないものなのかもしれない。
たけしはもともと痩せてはいなかったが、ストレスですごく太ってしまった。
この頃から、たけしのノイローゼも始まった。
おばさんに何かいやなことを言われたり、されたりすると、
その夜はもう20回も30回も母にそのことを話すのだ。
母はわかったよ、大丈夫だよと言うのだが、もう1分後にはまた同じ話を繰り返す。

母はたけしの体を思い、勤めを辞めさせた。
たけしはさっぱりした様子で、毎日汽車を見に出かけては夕方帰ってくるという生活になった。
その頃からたけしはクラッシック音楽が大好きになり、
たけしの汽車以外の唯一の趣味なので、父と母はCDラジカセもいいのを買ってあげていた。
私はこの頃東京にいたのだが、帰省のときはよくたけしにクラッシックのCDをのおみやげに買ってきたりした。
母と汽車とベートーベンと食べ物があれば、たけしはとてもしあわせそうだった。
ヘッドホンをつけて自分の部屋で壁に向かって指揮をする手振りをよくしていた。


たけしの知能は4歳くらいだという話だった。
高校卒業まではにこやかで、陽気な4歳だったが、
勤めだして、辞める頃には陰鬱な4歳になってしまっていた。
あれだけ自分はバカじゃないと言ってたのに、
「ぼく、よくわからないから」と言うのが口癖になっていた。
『自分を受け入れましょう』と、ヒーリングの時にはよく言われる。
たけしの口癖は自分の障害を受け入れたからだろうか?
私にはどうしてもただの言い逃れにしか感じられず、
かといって、もっと考えろとも言えず、
たけしのストレスにならないように振舞うことしかできなかった。
うっかり何かちょっとしたことを注意すると、
それが気になって、また母が何十回も同じことを聞かされる羽目になる。
私に言えばいいのだけど、母にしか心を許していないから、
たけしの気持ちは母に全て向いてしまうのだ。
自分の迂闊な一言で母に迷惑がかかるのは絶対避けたかった。


そのうちたけしはたまにケンカをして帰ってくるようになった。
線路に入って汽車を見ていたそうで、それを注意してくれた人がおり、
その人とケンカをしたというのだ。
たけしはただ汽車が好きでそばで見たかっただけなのだが、
危険だという考えに及ばない。
その人だって、たけしの身の安全の確保のために注意してくれたに違いないのに、
たけしにはそれがわからない。
たけしの心にはものすごく厚い鉄の壁ができてて、
母以外誰もその中に入れなくなっていた。
そしてこの頃から、たけしは自分の思い通りにならないことに我慢できなくなってきていて、
そんな状態になると母でさえもたけしの心の中から追い出されるようになった。


ある日父が脳梗塞で倒れた。
幸いにも体の麻痺はなかったが、医者からは9歳の知能になっていると言われた。
確かに、あの穏やかで何があっても怒らない父が怒りっぽくなり、
手のつけられない頑固オヤジに豹変していた。
4歳児と9歳児を母はひとりで、どんな思いで面倒を見ていただろう。

子ども同士はケンカをする。
しかし体は共に大きく、お互いに自分は大人だという自覚があるので、
本当の大人が「こら、やめなさい」と言ったところで、ふたりともやめないのだ。
たけしは父を突き飛ばした後、引出しからハサミを持ち出し、
両手で持って構えた。


母は父を庇いながら立ち、渾身の力を込めてたけしを抑えながら頼み込んだ。
「お願いだから、やめて! たけしちゃん、たけし、お願い! こんなことをしてはいけない!」
たけしはやっとハサミをテーブルに置いて、また汽車を見に出て行ってしまった。
母は、倒されてプライドが傷つけられたために余計怒っている父を見ながら、
どうしたらいいんだろうと途方に暮れたと言っていた。
この時から実家から刃物という刃物は全て隠された。
その夏に帰省したとき、その話をまだ聞いていなかった私は不便を訴えてしまった。


「もうお父さんとたけしをふたりだけにしておけないし、
暮らしていくのも心配で、このままではいけない」
母の脳裏に新聞記事になるような出来事が何度も浮かび、
そのたびに慌ててかき消す日が続く。
母は限界を感じて、あちこちに相談しに行った。
そこで勧められたのが、精神病院という選択だった。
母は自分の子どもを精神病院に入れたくなかった。
血がつながっていないから余計そんなことはしたくなかったに違いない。
血がつながっていないからそんな「仕打ち」ができるのだと言われるのもいやだったろうし、
本当に母はたけしをかわいがっているのだから。
偏見があった精神病院に入れるなんて、考えられなかっただろう。
母のこの時期の思いを考えると胸が詰まる。


結局たけしを病院に連れて行くしかないという決断は、断腸の思いだっただろう。
でもそれは結果的にとてもよかった。
なぜならその病院は、窓から駅と線路、そして走る電車が見えるのだ。
たけしは毎日喜んで汽車を見てすごし、
夜になったら母に電話をかけてくるという生活になった。
そして土曜日に自宅に戻り、月曜日の朝、病院に戻っていった。
母は少なくとも週に5日はたけしのことで心配しなくて済むようになった。


そして父が亡くなった。
母はたけしを病院から連れてきて、父の亡き骸に会わせて言った。
「もうお父さんは死んじゃったの。わかったかい」
そして1時間もしないうちに、たかおの車でたけしを病院に送り返した。
あれだけケンカしていたのに、たけしは弟の車の中で泣いていたという。
たかおが「だいじょうぷか」と聞くと
「お父さん死んじゃってさびしい・・・・」と言ったそうだ。


父の死後、母はたけしをうちに連れてこようかと考えていたが、
それは無理だということがすぐわかった。
たけしは自分の思い通りにいかないと凶暴になるようになっていた。
たけしの行きたがっていたあるところへ行く約束をしていたが
大雨で行けなくなった日曜日の晩のこと。
たけしはハサミこそ持ち出さなかったが、
古い家の二階の床をどすんどすんと一晩中蹴りつづけていた。
(今でも実家の2階の部屋には、たけしがあけた穴が壁にある)
母はいつたけしが暴れだすかと心配で眠れなかったと言う。

それからストーブをつける冬には、たけしを自宅へ戻さなくなった。
もし暴れて火事にでもなったら・・・という心配からだ。
たけしには、本州に寝たきり老人がいて、誰も面倒を看るひとがいないから、
おかあさんが冬中行ってるということにしていた。
それでもたけしは毎日電話をかけてくるので、
夜は電話が鳴っても出られないのだと母が苦笑まじりに話していた。
私はナンバーディスプレイの電話機を勧めたが、
機械に弱いからと、しばらく我慢していた。
しかし母はいよいよ困り果ててその電話機を買ってみた。
ちゃんと使いこなして、これならお姉ちゃん(私)からの電話にも出られると喜んでいた。

父が亡くなって、母ひとりにさせるのが心配だったが、
(たかおは義妹の父と暮らしていて、もうそれは崩せない体勢だったし、
母は義妹に少し不満が募っていたので、
一緒に暮らさないほうがお互いのためだと思っている。ははは)
母は新しい電話機の使い方を覚えたり、老人会の日本舞踊を習いに行ったり、
ジムに行って体を鍛えたり、毎日忙しそうに楽しそうにしている。


しかし母の心配はやっぱり続いていたのだ。

たけしの夏の楽しみは、
小樽の水族館と、岩見沢の三井グリーンランドという公園に行くことだった。
行って何をするというのではなく、「行く」というのが大事なのである。
それが毎年恒例のたけしの「行事」なのだから。
しかもそれは大好きな汽車で行かなければ納得しない。
たかおが車で連れて行ってやると言っても、車では承知しないのだった。


しかしこの汽車が最大の問題なのだ。

札幌にこの夏帰ったとき、母から頼まれた。
「たけしに夏休みをあげたいから、1日つきあってくれないか。
私ひとりだとたけしは甘えて、すごくわがままになるんだけど、
誰かひとり他にいれば、そんなにわがままは言わないから。
たかおだとお父さんと似たところがあるから、
ケンカが始まっちゃうんじゃないかと思って頼めないのよ。
おねえちゃんなら大丈夫だと思う。
たけし、毎日電話してきては連れて行ってねって何十回も言うの。
やっぱりいくら何でも夏にどこへも連れて行かないのはかわいそうだと思って」
私は快諾した。
そうだよね。夏の思い出が1日もないなんてかわいそうだと私も思った。
本当は2ヶ所に連れて行かなければならないのだが、
私の時間が無理なので、とりあえず小樽に行くことにした。
その日は娘と夫は別行動をとってもらった。

「それでもちょっと大変なんだけど・・・」
そのちょっと大変というのがどんなものか聞いていた。
聞いてはいたが、実際に体験してみると、それはちょっとどころじゃなかった。
たけしはホームで並んで汽車を待つことすら出来ない。
もうわくわくしてしまって、1秒でも早く汽車に乗りたいために、
列の順番を無視して1番前に並んでしまう。
何度か注意したら、今度は怒り出す始末だ。
母がひとりで連れてきたときはもっとひどくて、
汽車に乗り込むと、自分の好きな席をめざす。
そこに誰かが座っていて、たまたま売店に何か買いに席を立っただけでも、
そこがあいたとばかりに座ってしまった。
だめだよと言っても、動こうとしない。
挙句の果てに「おかあさん、ぼく、わかったから! あっち行ってて!」と
怒鳴られてしまうのだそうだ。
今回はたまたまたけしの好きな席が空いていて、そのシーンは見ずに済んだ。


しかしそれだけでは終わらない。
大好きな汽車に乗ったたけしの気持ちは興奮している。
そして始まるのは大声で歌うことだった。
これには参った。
しかも自分で作曲したらしい曲を、しかも音痴な声で
「ぱらら~ぱらぱらぱんぱんぱん。たらら~たららら~たらら~・・・・」
同じフレーズをエンドレス。
駅が近づくときだけ汽車のスピードダウンに合わせて、
「ぱーん・・・ぱーん・・・ぱぁ――――ん・・・・・・・んっ」と終わらせる。
指揮の手振りつき。

私は自分の子どもには口うるさく言う。
「電車の中はいろんなひとがいるから、
疲れている人も、子どもが嫌いな人も、いっぱいいるから、静かにしようね。
いくら疲れていても、順番を守らないで走って座席を取るのはかっこ悪いから
しないでおこうね」
私はそういうことで人に迷惑をかけるのはとてもとてもいやなのだ。
そして娘はそれをよくわかってくれて、電車で騒ぐようなことは一切しない。
だから私は列の順番を無視したり、電車の中で歌をうたったりする家族がいるという状況に
甚だしく慣れていなかった。
ものすごい拷問だった。


私は何度も
「たけし、もっと小さい声で歌おうね」と言ってみたが、
そのあとのたけしの行動(何十回も母に同じことを繰り返し尋ねては困らせる、例のやつ)を考えると、
困るのは私ではなく母だと思い、強いことは言えなかった。
私は心の中でその車両に乗り合わせた乗客全員に心の中でずっと詫びていた。
何も知らないで乗車してきて、たけしのそばに立った人が、
たけしのたらら~が始まった途端、慌てて場所を移動するたび
歌以外の危害はありませんから。暴れませんから。というアピールのために、
たけしのそばに行って、何か声をかけてみる。
たけし、キャラメル食べるかい。とか、たけし、写真撮ろうか。とか。
しかしうるさがられるので、怒鳴り声が始まる前に撤退しなければならなくなる。
母のほうを見ると、
もうそういうことは全てやりつくしたという顔で、ちいさく頷くのだった。


やっと小樽についたときは
心の打ち上げ花火が100連発な気分だった。
1分1秒でも早く、この電車から降りたかった。
小樽に汽車が着いたとき、たけしの前の座席に座ってしまったために
40分くらいあのフレーズを聞かされていた家族に私は無言で頭を下げた。
どう詫びていいのかわからなかった。
その家族は困った顔で笑いながら、いいんですよと言ってくれた。
本当はすごく腹が立っているかもしれないのに、そう言ってくれたことにとても感謝した。


小樽水族館で魚を見て、イルカのショーをみる。
イルカのショーの前にたけしはコーラをねだるので買ってあげた。
「おねえちゃん、ビンのがいい。缶じゃなくて、ビンね」
会場の入り口にあった自動販売機の内容をちゃんとチェックしていたのだ。
そしてショーが始まる前にすっかり飲み終わって
「ショーが終わったあとにもう1本買ってね、おねえちゃん」と頼まれた。
私は「(いいの?)」という視線を母に投げてみたが、母が笑って頷くので
計2本のコーラをたけしは飲み干してしまった。そしてすぐ水族館内の食堂で食事。
どこにはいるのやら。
それでたけしは大満足なのだった。
安っぽい皿に盛られたチャーハンを嬉しそうに食べているたけし。
たけしが笑っているのを満足そうに見ながら、あとは帰りの汽車だけだと思いつつ食べている母。
私は「このカレーうどん、結構辛いよ。でも今日は雨で寒いから、丁度いい」と言った。


帰りの汽車でももちろんソロ・リサイタルは行われた。
行きの汽車と違っていたのは、
たけしの歌が駅が近づくたび変調するのを、クスクス笑う人たちがいたことだ。
私はすごく嬉しかった。
笑ってくれるのは救いだ。無口になって怒りを募らせられるよりも、何倍も気が楽だ。
札幌が近づくと私もやっと余裕が出来、たけしの歌がおかしくて笑ったら、
おねえちゃん、なんで笑っているのとたけしも笑って聞いてきた。
楽しいからだよ、たけし。


そして無事に病院に送り届けて母と私ははぁあ~と初めて呼吸した気がした。
母は何度も私にありがとうと言った。たけしが喜んでくれてよかったと。
「お母さんね、ひとりであのたけしを連れて回ったとき、
何度もこのままふたりで死のうかと思ったの」


そんな思いをしてまでなぜ障害者を病院の外に出すのかというひともいるだろう。
実は私もそう思う。
私はまだ、興奮して手に負えなくなったたけしを知らないのだけど、
そんなに怖いなら、果たして連れだしていいのか?
こんなに見知らぬ人たちに迷惑をかけまくって?
でも死のうとまで思いつめた母が、
やっぱり息子の楽しい時間をつくってやりたいと思う気持ちを考えると、
よそうと言えない。
それにたけしをよく知っている母が、私がいれば大丈夫だというのだから、大丈夫なんだろう。
本当に大丈夫ではあったのだけれども。


たけしはただ汽車がすごく好きなだけの4歳の子どもなのだ。少なくとも頭の中は。
偏見と無理解がたけしを歪ませ、
歪んだ心がまた偏見と無理解を呼ぶ。
小さいときの、誰にでも笑いかけるたけしは天使みたいにかわいかった。
なんの邪気もない顔をしていた。
それがあんなにおどおどした目になり、
そんな目のまま傲慢になっていくのは、何故か?
誰かのせいなのか?
たけしは何故今回こんな生を選んだのだろう。
それはたけしにしかわからない。
でもたけしと家族になったことで、私はいろんなことを知った。
たけしはメッセンジャーなのだ。




先日母から電話があった。
「たけし、『三井グリーンランドは10月26日までだよ、お母さん』って電話かけてきたの。
二階にいて、子機だったものだから、電話番号を確かめないでうっかり出ちゃったのよ。
どうしようと思って」
私は来年はたけしのための2日をちゃんと予定にいれるから、
今回は寝たきり老人が具合悪すぎたことにして、我慢してもらったらとすすめてみた。
仕方がないことだったらたけしもしぶしぶ承知するだろうし、
これ以上無理をすることはないと思った。
母ひとりでは無理だし、たかおも私は危ないと思っている。
たかおはきっとたけしの我儘に我慢できないだろう。
母は十分すぎるほどたけしのことを考えているのだから、それで十分だと思った。
誰も母を責めたりしない。
ただ、母が自分で自分を責めるのだけど・・・。
それにしても4歳児でも、
ちゃんとそういうことをTVのCMでチェックできるんだね。
あの自動販売機に瓶のコーラがあるのを一瞬でチェックできたひとだから、
さすがだよねと母と2人で笑った。

本当はたけしの「行事がおこなわれないこと」のストレスがものすごいことも
私たちは知っているのだけれども。

でも。
でも十分だと母にも自分にも言い聞かせている。
そう、十分だ。
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プロフィール

Etsuko*

Author:Etsuko*
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◆札幌出身 埼玉県南部在住
◆女性
◆職業:MMS JAPANガイド
ヒーラー・チャネラー
直傳霊氣療法士
イラストレーター
ジュエリーデザイナー

◆好きな食べ物:
フルーツ フルーツ フルーツ
◆好きなスポーツ:
太極拳
◆好きな音楽:
TRICERATOPS、Bonnie Pink、
PINK、溝口肇、Chen Min
他たくさん

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自分のことが好きになれない方、エネルギーの状態が低くて、気分が最低な毎日を送っていらっしゃる方、
否定的な考えしか浮かばない方などに
また、パワーUPとスピリチュアルな進化を促進させるために、是非☆


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